5.5 脳が自らを研究する時――氏と育ちの二分法を超えて
https://gyazo.com/68191fb0ef6228bb11f91bad178bccdb
https://amzn.to/2IXdFFN
クラーク・バレット(H. Clark Barrett)
理論的な観点からヒトの認知の進化と個体の発達を解明することに力を注いでいる
主にモジュール理論や、領域特殊性、認知の形成過程における環境と文化の役割、発達理論と計算モデルなどについて
同時に、実証的手法を用いて認知の領域特殊性を研究し、文化比較と発達の方法を用いて認知的進化の理論仮説の検証を行っている
研究テーマ
捕食者と獲物に関する子どもの理解
危険学習
生と死の弁別
素朴生物学
音と運動からの意図や感情の認知
人工認知
採餌における認知、協力
彼の研究の多くは、人類学と心理学の研究手法を同時に取り入れ、進化の視点からヒトの認知適応的メカニズムを解釈しようとしている
一部の研究では、ヒトが資源を獲得する上での認知適応を検討している
ここでの資源には一般的な生存資源の他、配偶者といった特殊な資源も含まれている
2005年に行われた比較文化研究では、ドイツ、ベルリンの3,4,5歳児とアマゾン流域の原住民シュアール(Shuar)部族の3,4,5歳児を比較している
この二つの文化で生まれ育った子どもは、動物に対する接触経験がまったく違っている
それにも関わらず、人形を使って語られた物語の主人公が動物であれ人間であれ、どちらの文化の子どもも4歳以降でないと「眠っている動物」と「死んだ動物」を区別できないことがわかり、この認知能力には文化間の一貫性があることが明らかになった
この研究結果は生死の弁別は中心的な認知能力の発達に含まれるという仮説を支持するものであり、進化において生死の弁別が重要な役割を果たしていることを支持した(Barrett & Behne, 2005)
他人の意図を推測する能力は、われわれヒトの最も基礎的な認知適応の一つである
バレットらは乳幼児が「育児語(マザリーズ)」の音やリズムの手がかりだけを頼りに発話者の意図を推測できるかどうかの実験を行った(Bryant & Barrett, 2007)
英語を母国語とする母親が乳幼児に話しかける口調と成人に話しかける口調それぞれで、禁止・支持・慰め・注意喚起の4種類の意図を表現する発話を録音し、シュアール部族の成人にそれらの録音を聞かせ、音の手がかりだけで母親の発話意図を判断してもらった
その結果、乳幼児に対する発話でも成人に対する発話でも、シュアール部族の成人は発話の意図を判断することができたが、乳幼児に対する発話の方がより正確に意図性の判断ができることが明らかになった
マザリーズは、自然淘汰において乳幼児とのコミュニケーション問題を解決するために生まれた特殊な産物であるため、音の要素によって発話者の意図に対する手がかりをより多く含んでいる
これは、ヒトが非言語的な音の手がかりをもとに他者の意図を推測する認知能力を進化させたことの証明にもなる
また、彼らの研究では、音の手がかり以外に、身体的動作も、意図の推測において簡単かつ確実な情報を提供することがわかった
例えば、ドイツの成人、ドイツの子ども、そしてシュアール部族の成人のいzれも、ヒトの動作の軌跡だけを頼りに、追いかける/追い求める/後をつける/防護する/けんかする(殴る)/遊ぶ、などといった他者の意図を推測することができた
本文
進化心理学最大の課題の一つが、脳が自分のことを研究する時に生じる
ヒトの脳は特定の目的のために設計されている
ヒトの脳が世界を細分化し、その意味を理解する方法は、それが適応度に影響したから進化したのであって、必ずしも真実を見出すのに役立ったからではない
したがって、脳は物事を行う際に、複雑に絡み合う世界の因果律から、少数の代替変数を抽出し、ある種の現象を予測可能なものにする一方で、代償として世界の真の因果化関係の多くをないがしろにしてしまう
このことがもたらす不幸な二つの帰結に、私は興味をひかれた
発達についての我々の考え方
本節でわれわれというとき、それはヒト全般と、心の進化学の確立を妨げる、よくある常識や直感(Cosmides & Tooby, 1994)を意味する
発達について考える時、我々の直感は、生命体の特質は生得的なものと学習されたものに二分されるという、ある種の本質主義に傾く
心の働きの因果構成、すなわちメカニズムの観点から見た心理的因果関係についての我々の考え方
心理的メカニズムについて考える時、我々は、行動を意図的に行われたもの(自由意志、言い換えれば意識的選択の帰結)とそうでないものに二分する
どちらの場合も、世界の意味を理解するために心が創り出した二分法に起因する二元論に陥っている
どちらの二分法も、適応上重要な問題である、行動予測という課題を解決するために進化してきた心理的装置の産物なのではないかと私は思う
我々が本質主義と呼ぶものはどうやら、帰納的な問題解決策として進化したようだ
ある生物種の代表的な個体の性質を測量してしまえば、次に同種の別個体と出くわした時、個体としてはよく知らなくても、その性質に関して色々と予測できる(Barrett, 2001)
このことは、われわれの心が常に、行動を含めた表現型から、変化に富むものとそうでないものを抽出しようとしていることを意味する
これは、書体目の人が何をしそうか帰納的に推理するための方策としては使い勝手が良いのかもしれないが、発達の仕組みを考えるには最悪
殆どの発達システムは、システムそのものが同種個体間で同じかほとんど同じであっても、しばしばその設計に起因して、表現型に個体差を生じさせるから
意図した/しないの区別もまた、予測戦略としては理にかなったもので、われわれが行動の意味を理解する際に用いている読心システムに深く埋め込まれているようだ
われわれは意識や意思が何物なのか十分には理解していない
しかし、自覚や意識的に設定された目標と言った現象が生命体の行動を導く一因となっているようなので、そういったものを監視する読心システムは行動予測に有用
しかし、心理的因果関係に意図的/非意図的、または意識的/無意識的の線引をしてしまうと、それが進化による/進化によらないという区分と結びつき、大きな誤解を招く恐れがある
残念ながら今の心理学ではこうした区分が主流で、心的プロセスは自動的かつ無意識的のものと、柔軟かつ意識的なものに分けられがち
前者はしばしば適応進化の産物、いわゆるモジュールであるとみなされ、後者はそうであるとはみなされない(例えば、Stanovich, 2004)
これは最悪で、進化と硬直性を同一視してしまっている
この考え方に沿えば、進化が関与するのは脳内の順応性がない部分であって、順応性がある部分については自然淘汰以外の何らかの説明が必要だということになる
生物学の初歩さえ理解していれば、これが間違いだとすぐにわかる(Barrett, 2005a; Barrett & Kurzban, 2006)
私の中心的な研究課題は、われわれの脳が、行動を根源的・本質的な因果関係へと単純化し、解釈し、予測する目的で用いているメカニズムの本質を解き明かすこと
初期の研究では、捕食者と被食者の相互作用(Barrett, 2005b; Barrett & Behne, 2005)、その他の適応度に関わる相互作用(協力、競争、配偶など)の直感的理解に注目した
私たちが持つ行動予測システムは、こうした相互作用に対処する形で形成されたものだから(Barrett, Todd, Miller, & Blythe, 2005)
同時に、目的や意図といった観点から行動を分析する行為が、道具使用などの領域での社会学習を促進するかにも注目した(German & Barrett, 2005)
こうした場面から、人工物に付与された目的志向の機能に基づいて、知識を整理する必要があるため
最近では、協力や道徳的判断の領域で意図の推論がどのように作用するか(Cosmides, Barrett, & Tooby, 2010)、幼児における行動予測の早期発達、精神状態に関する考え方や会話の詳細が文化によってどう違いうかにも目を向け始めた
いずれのトピックについても、生得性や自動性といった特徴そのものではなく、デザイン、つまり問題にしている認知システムの構造がその機能をどう反映しているかに興味
こういった研究アプローチにとってきわめて重要なのは、文化比較
私の研究では、アメリカとアマゾンの先住民族シュアール族の文化圏で並行研究を行う
狙いは、きわめて異質な文化を比較することで、一つの大いに有りうる可能性について、部分的にであれ検証すること
それは、一見したところ進化によって形成されたように思えるヒトの心理の特徴が、実は一部の文化に共通する特徴でしかなく、単に共通の歴史や環境のおかげで心理学者がそうした文化を研究対象に選びがちなだけである、という可能性
例えば、捕食者と被食者の相互作用に対する子どもの理解に関する私の研究では、ロサンゼルス(訳注: ベルリンの間違いと思われる)の子供とエクアドルのアマゾンの子供は捕食される危険性が大きく異なる環境で育つにもかかわらず、どちらも似たような発達過程を経て、捕食者に遭遇すれば死ぬかもしれないと理解し、さらにどの動物が危険でどの動物が危険でないかを素早く学習することがわかった(Barrett, 2005b; Barrett & Behne, 2005)
私の研究での文化比較の目的は、生得的か普遍的かを知ることでもなく、特定の用途に特化したデザインの特徴だと考えられる、形状と機能の適合関係が、発達環境や文化環境に関係なく有効かどうかを知ること
進化的に獲得されるメカニズムは、設計上の特質として可塑性を持つ可能性があり、実際にしばしば可塑性を示す
したがって、表現型の細部の大半とは言わないまでもかなりの部分は、たとえそれが適応形質であっても、通文化的普遍性を持つことはない(Barrett, 2006)
例えば、文化が異なれば、地域に存在する捕食者や被食者を表す単語や概念も異なり、さらには心理状態を表す用語や概念さえも、ある程度は異なる
普遍性に関する単純な見方には反することだが、このことをもって、危険や心理状態に関する学習や思考のために特別なメカニズムがあるという説を変える必要はない
私たちがしなければならないのは、心のデザインの特性のレベルで仮説を立てること
心のデザインの特性とは、例えば子どもが周辺に存在する危険な事物を同定する時に使う手がかりだったり、心理状態を表す各概念が因果推論の過程で果たす役割だったり、意図的か偶発的かの概念的区別といった、きわめて変化に富むこの世界の特徴をとらえるために存在するシステムの中で機能する特徴のこと
進化心理学が物議を醸したり大きく誤解されたりする理由の少なくとも一端は、私の考えでは、進化がどのように心を形作るかについての、魅力的な、けれども突き詰めていくと正しくない数々の直感が堅固に存在することにある(Cosmides & Tooby, 1994)
進化心理学とは、学習機構、文化伝達、選択、意識などを含めた心のすべてを、進化の産物とみなそうという学問
最重要課題は、それを受け入れることの帰結に気づいてもらうこと
心のすべては進化の結果なのであり、究極的には、問題とする構造を進化学のレンズ越しに見て、それが生存と繁殖にどう影響を与え、どんな進化道筋を辿ってきたかを考える必要がある
しかし、そうするためには、これまで一般的に進化的考察の対象外とみなされてきた、意識的選択や社会化のような現象の研究を可能にする、新たな概念が必要になる
このために、進化か学習かという間違った区分や、知覚や情動といった下位レベルの処理イコール進化、論理的思考や意思決定といった上位レベルの処理イコール自由意志・学習・文化であるという、これまた間違った区別をやめなければならない
これら、心を理解する際の数々の障害の一部は、進化が形成した心の設計の産物だとは思うが、その他の障害が歴史的・文化的なものであることに疑問の余地はない
例えば、心身二元論はヨーロッパの啓蒙主義哲学の伝統に固有のものではないが、その伝統によって強化されているのは間違いない
さらに、進化心理学がアメリカとヨーロッパで異なる形で受け止められていることから察するに、それ以外にも、おそらくある程度は宗教性に、またある程度は学問領域間の長年の不和に関係する、アメリカにおける進化心理学の発展を遅らせてきた文化的要因が存在するようだ(Slingerland, 2008)